やすばについて書き殴る
私が爪先を関ジャニ∞の沼に少し突っ込んだところを沼の底まで引きずり込んだのは安田担の友達だった。
その友達がJUKEBOX後に担降りをするまで私はいつもその子とライブに入り,双眼鏡ですばるくんを追い続けてた。
双眼鏡で追うすばるくんの横には必ず安田くんが居て、同じく隣にいる友達が双眼鏡で見ている安田くんの横にはすばるくんが居た。帰り道に友達と話す感想も見る先は同じだから半分以上やすばについてだった。
それが当たり前で。
TVでもすばるくんの腕は安田くんの肩へ回されてて、雑誌では2人がぺったりくっついている。いつだってそうだった。
はいはい、やすばやすば。
くらいにも思っていた。
ミサンガを交換し,ネイルもして,お揃いの指輪,ネックレス…今考えるとゴリッゴリやなと思うけど,あの頃はまたやってる〜って微笑ましく思っていた。愛だの恋だのではなく"やすばだから"って表現がしっくりくる。
やすばを書き殴るにあたってdesireについて触れるか触れまいかすごく悩んだ。
何故なら私の中でdesireは完結したのである。2015-16年の元気が出るツアーパンフレットで。
2008年全員集合@城ホで見たdesireは息をするのも瞬きさえも忘れて見入ってしまうほど完全に2人の世界だった。もうあの世界を見れないのであれば今からでも遅くない…2008年の映像化を心の底から願う。
desireは完結したと言うより,あの頃のやすばのdesireを求めて彷徨う亡霊と化したと言う方が正しい。
2008年が所謂やすば全盛期だったと思う。
それから少しずつ少しずつ,すばるくんの隣には丸山くんが居ることが多くなった。もちろん私も丸すばは大好きだ。丸山くんにはすばるくんを支えてくれてありがとうとずっと思っている。安田担の友達が担降りして以降、丸山担とライブに入ることが多くなったこともあり自然と丸すばが目に入ってただけかも知れない。でも、確実にあの頃のやすばは居なくなっていった。
仲が悪いわけでも避けているワケでもない。むしろそのくらいの距離が世間一般で言う普通なのかも知れない。
でも正直寂しかった。思えばエイト好きになってからずっと,やすばを通して関ジャニ∞を見ていたのかな。だとすれば、やすばは私の青春。だって追い続けた目線の先にはいつもやすばが居たんだから。
雑誌を見てもTVを見ても,はいはい、やすばやすば。と思っていた頃には考えられないけど、やすばに敏感になった。少しのことでアッ…やすば…!と身構える程のモノへと変わっていき,そんな自分にモヤモヤしていた。
2014年。
webで連載していたやすば。
そのやすばが終わった。
毎日更新するやすばを無心でスクショする日々。すばるくんの言葉も安田くんの言葉も大好きだった。終わるのが寂しくて悲しくて辛くて考えたくもなかった。私の中で本当にやすばが終わりそうな気がしてたから。
迎えた最終日、最後の日記のあとにオマケがついた。すばるくんから安田くんへ。安田くんからすばるくんへ。
その中の一文。
「運命共同体。
どうせ死ぬまで一緒。
だったら行ける所まで行くだけの事やな。」
カミナリに打たれたような衝撃を受けた。
目に見える距離だけを、物理的なモノだけを見て勝手にやすばについてモヤモヤしていただけなんだ。
私の中のやすばは一旦終わりを迎えて、また始まった気がした。とっくの昔にそうなってたのかも知れないけど、2014年にようやく区切りがついた。やすばは繋がってたんだなあ…ずっと。そう考えれば関ジャニズムでの「ゆ」もスッと受け入れられた。2人が作る音楽はいつだって最高だから。
やすばがこれからどんな世界を作っていくのか、私はすごく楽しみで。たまに見せるあの頃のやすばのような雰囲気を楽しみながら関ジャニ∞を応援していきたいと思っている。
47の沖縄オフショで言った"2人でライブやりたいと思ってます"って言葉だけは未だに信じてるし待ってるけどね。遠い未来でもいいよ。出来ると思ってる!!
だってやすばだから。