2018年について書き殴る

 

やっと終わる。2018年。

もう私の中ではとっくに終わってた2018年。

 

酷い一年だった。全部夢だったらいいのにってまだ思ってる。

 

よく見る担降りブログもオタ卒ブログも私には無関係だと思ってた。好きになってからあの日まで夢中で駆け抜けた14年は本当に楽しくて、そして勝手に永遠だと思ってた。

 

すばるくんが辞めようと決めたのも2018年、会見も2018年、関ジャニ∞じゃなくなったのも2018年、そして2018年が終わる12月31日にはジャニーズから姿を消す。

歳を重ねると1年なんてあっという間に過ぎる。でもそれは去年まで。今年はとてつもなく1年が長く感じて、テレビから姿を消した日からまるで時が止まったかのような感覚になった。知らない間に心が死んだんだと思う。

思えば、すばるくんが居ないジャニ勉もクロニクルも関ジャムも歌番組も見なくなった。大好きだったTwitterも開かなくなる。

そういえばCDも買ってないなと気付いた。まず、いつ発売だったかも知らなかった。何種売りで特典がどうとか、カップリングが何かとかも全然知らなかった。すばるくんが居なくなってもエイトは大好きだ。応援してる。めちゃくちゃに売れて欲しい。でも「買わなきゃ」って気持ちになれなかったんだと思う。

 

これでファンだと言えるのだろうか。

応援してるなんて言える立場なんだろうか。

 

これこそ担降りでオタ卒では?って気付いた。

 

私も少し前までは毎日毎日エイトのことばっかり、通勤時に聴くのもエイト、暇さえあればTwitterに入り浸って「すばるくんの顔面がかっこいい」と呟いて、TVは欠かさず録画とリアタイに命懸けて、夜中に発表されるメンバーの仕事に湧いて、ラジオだって毎週楽しみに生きてた。新譜の予約は開始と同時に全種買いして、DVDが出ればジャニオタ達と集まって鑑賞会をした。私の1年の中心はツアーで、お金の使い方も年間予定も全てツアー次第だったなあ。

本当に本当に楽しかった。大好きだった。

 

2018年まで出来てたことが2018年に出来なくなって、たった半年で全て無くなってしまった。最初こそ、それでもエイトを追い続けると宣言したけど呆気なくこのザマである。茶の間以下の人間に成り下がった。

 

情けない。虚しさだけが残る2018年。

 

絶対とか永遠とかって言葉が大嫌いになった。実際この世にはそんなもん無くて、常に疑って捻くれて現実を見て生きていく方が堅実なのかもしれない。いい歳してそんなことを学んだ。

でも、絶対とか永遠とかを信じて縋って生きてきた今までの人生だって悪くなかった。キラキラして穏やかで何より楽しく生きてこれたのも事実。

私にとって絶対とか永遠って目に見えないものじゃなくて、ライブに行けば目の前に7人が居て笑ってたり歌ってたりしている姿自体がそのものだと思ってた。雑誌での写真だったりインタビューだったり。テレビで楽しそうな顔をしてる7人を見たり。身近に感じれるものだった。

 

すばるくんが全ての表舞台から居なくなった今、6人の関ジャニ∞を見ても絶対とか永遠とかは見えなくなって消えた。すばるくんに対しても同じ。

 

「すばるくんならまた絶対ステージに立つ日がくる」なんて思えない。いつか表舞台に戻ってきて欲しいなとは思うけど、そんな風に思うことさえ今はしんどい。見えないものを信じたり縋ったり出来る程、心に余裕がない。

一寸先はきっとハッピーなんかじゃなくてただの闇だ。これから先ずっと闇。永遠にだ!!!でも永遠なんて信じないからな!!!

 

8時だJが一夜限りの復活とかで,それなりの年齢のオタク達がザワザワしている。本当にクソみたいな2018年のトドメだなと思った。

なんかもう逆に清々しいくらいの地獄。すばるくんが出ても地獄、出なくても地獄。過去のすばるくんが映っても地獄、映らなくても地獄。どうせなら穏やかにジャニーズカウントダウンを迎えて静かに2018年を終えたかった。すばるくんのジャニーズ人生に感謝してカウントダウンしたかったけどモヤモヤしたまま年越そう。

 

あーしんど!終わり!もう終わり!良いお年を!