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DDと掛け持ちについて書き殴る


まず、私の結論から言えば「自分の容量内で好きなものを好きなだけ追えばいいじゃない。良くも悪くもそれは自分の問題だから他人は立入禁止」ということ。


DDとは?

D(誰でも)D(大好き)な人をいう。つまりは見境なしにジャニーズを摂取し、大好きが止まらないのである。見ていて清々しいほどのジャニヲタ。(自論)



掛け持ちとは?

自担が1人ではなく2人3人と複数の自担がいる人をいう。声高らかにこの人とこの人が自担!私のお金はこの人とこの人に使いたい!と明確に宣言した時からが掛け持ち。(自論)


という判断で進めていきたい。

とはいえ私はこのDDでも掛け持ちでもない。すばる担で11年間ジャニヲタをしている。


じゃあ何故DDと掛け持ちについて書き殴るのか!最近Twitterで掛け持ちNGだの純粋なファンだの掛け持ちやDDに対して嫌悪感を抱いているような書き方をする人が居るなあと思ったから。

きっと嫌悪感を抱いている人は自担は1人主義なんだろうなあと思い、じゃあそれは何故かを考察したくなったのである。


何故、自担1人主義はDDと掛け持ちを嫌うのか。これは嵐のアリーナツアー当落に沸くTwitterで確信を得た。


「当たってる人が掛け持ちばっかり」

「純粋に嵐応援してる人が当たるべき」


まあ、若い世代が主なのだがよく見かけた。なるほど。嵐しか見ていない嵐しか好きじゃない人にとってツアーが外れてしまうともう会える機会が他に無い、という考えなのだろう。


浅はかだ!!!!!


みんな見たいのだ。嵐しか好きじゃない人にとっても嵐と他に好きな人がいる人にとっても1ステージは1ステージに違わない。

「好きな人がステージに立っている」

と、いう思いはDDだろうが掛け持ちだろうが自担1人主義だろうが共通する思いであろう。きっと、会場の中には別に好きじゃないけど…や、気になる位の人たちもたくさん居るだろうし、これから好きになるキッカケになるかもしれない。


話が逸れそうである。


本当は心の中でDDや掛け持ちしてるの良いなあと思っている。大好きがたくさんあると単純に楽しいだろうなあと思うからだ。

それと同時にその器用さに脱帽なのである。私はお金のない学生時代からすばるくんが好きで、誕生日とお年玉とお小遣いを貯めて貯めてツアーの1公演に入るのがやっとだった時代を経験している。

「たった1回の公演をいかに目に心に脳に体に記憶に焼き付けられるか」が最大のミッションなのだ。双眼鏡を握りしめすばるくんにピントを合わせ微動だにせず脳内HDDに焼き付けてきた。


だから他のメンバーの言動など記憶が一切ない(申し訳ない)


じゃあ同じグループ内で担当が2人いればどうなる??

器用さに欠ける私は二兎追うもの一兎も得ず状態になることが目に見える。目が4つあっても足りない。

掛け持ちの場合は?

同じ日程に日本各地でツアーが被ることも珍しくないジャニーズを追う掛け持ちはどの現場に行くのか。仕事の関係、お金の関係諸々考えてどちらに行って、どちらを諦めるのか。その選択を迫られること自体鬱だ。


この問題等々を器用にこなして、それでいて大好きがたくさんあって続けているんだから単純にすごいと心から思う。

あと、金銭的にも。大好きを追うって…しんどいよな(しみじみ)



まあ、DDでも掛け持ちでもないのにうるせぇ何言ってるんだって言われそうなので。


結局そうなんじゃないかなって思ってて。こっち(DD,掛け持ち)はこっちで好きにやってんだよ!って、だから人のことどうこう言うより自分の好きに一直線全力を注げばいいんだろうなってこと。人の好きなことにいちいち口出す暇があったらチケット当たるように徳を積みたまえ!!!!(自分に)


はあ…リサイタル当たりますように。